アル中クライマーの忘備録

好物は酒と山と岩。

登山から山スキーを始めた話

「やるぞ山スキー
初めてツイートしたのは2019年。
南国鹿児島で生まれ育ち、スキーに縁がなかった私は、初めてTweet山スキーの投稿を見たときに衝撃を受けた。「え?スキー履いて登山できるの?」と。
それから"山スキーをやりたい"という気持ちが徐々に大きくなっていった。
そして無事、2025年春。31歳にして山スキーを始めるをすることができた。

登山をやってきたが、スキー経験0のアラサーがどうやって山スキーのデビューを迎えることができたのか。
BCデビュー!といいつつも、そもそも競技スキーをやっていたり、幼少期に滑り込んでいた。という下地がある人が多く、まったくスキー経験がない人の情報にはたどり着けなかった。

登山をやりこんできて、「山スキーに興味があるが始め方がわからない。スキーもやったことない」そんな自分と同じ境遇の人に、何かヒントになればよいなと思う。

経歴・きっかけ

私のスキーの経験は、高校の修学旅行の志賀高原のみ。

たしか、一泊二日でボーゲンはできるようになった気がする。

以上。(笑)

本当に、スキーの経験は皆無でした。

冬山の経験は少々。八ヶ岳の初級ルート(主稜やジョウゴ沢等)、伯耆大山北壁程度。

雪が深いところをスノーシューで~というよりかはアイスクライミング・アルパイン志向だった。

他のアクティビティとしてはクライミング沢登りを精力的に行ってきた。

 

買ったギア

さて、スキーど初心者の私。何が必要かもわからない、どのように道具をそろえていけばいいかすら分からない。夏ボーナスが入り、散財する気満々の私。
ギアの知識に長けている友人にお願いし、買い物付き合っていただく。
が、、、どうやらいい品がなかったらしく、この日は敗退。
そのあと居酒屋に行き、おすすめのブーツ・板をいくつか教えてもらう。

"ブーツを買わないと何も始まらない"と学んだ私。

ブーツを買う→ソール長が決まる→板・ビンディングが買える。ということらしい(笑)

いくつかおすすめのブーツ(性能)を教えてもらい、数日後に白馬まで車を走らせる。
どうせ白馬には通うことにはなるだろうし、躊躇いはなかった。

購入したもの

・ブーツ:テクニカ コーチス120HV
・山板:サロモンQST106+ATK FR14
・ゲレ板:K2 Mindbender89Ti +Strive 12
・シール:ポモカ黄色
・その他:ウィペット・ゴーグル・スキー用ヘルメット等
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ザックは知り合いからおさがりをいただいた。

持ってたもの
・ビーコン:マムート バリーボック
・プローブ:マムートの3m。商品名不明・・・。
・ショベル:BD トランスファーLT
・ウェア類

スキー1年生でやったこと

やったことといっても、シンプルに2つ。
ゲレンデでの滑り込みと雪崩に関する勉強だ。

ゲレンデ通い

1にも2にも、滑走能力を上げることが必須だと考えた。
名古屋に引っ越してから、初めての冬。もともとアルパイン志向だった私は、正直アイスクライミングもやりたいと思っていた。
しかし、中途半端に練習しても身につかないと考え、使えるすべての休みをスキーに充てる決意をする(笑)
名古屋から比較的通いやすい奥美濃のシーズン券を買い、時にはナイターにも。

ゲレンデ主催のレッスンも何回か通い、フォロワーさんにもたびたび教えていただいた。

また、ゲレンデ脇でシールハイク/モードチェンジの練習もした。

 

雪崩講習

雪崩に関する講習はアバランチナイト(オンライン)とAvSARを受講した。
アバランチナイトでは雪崩の概要。AvSARではビーコンの訓練。

お恥ずかしい話、ビーコンは持っていたがまともに訓練を受けたことはなかった。
とりあえず、Sarchモードにして埋没者見つけて掘るだけでしょ?とかなりの認識の甘さだった。

詳しい内容は割愛するが、ビーコン使用時の注意点・複数埋没時のチームワーク・リーダー/フォロワーシップ・判断能力など、「あ、これ絶対訓練しておかないと現場で何もできないやつだ。」と感じました。


BCデビューに向けて何を思うか

「普通、登山からスキー始めた人ってゲレンデの滑り込みはそこそこに、山に行っちゃう人多い。」

先輩スキーヤーから、ちょくちょくそんな話をする。

普通にゲレンデでの練習が楽しい!!とも思っているが、一応まじめな考えもあるのでこの考え方は発信しておきたい。

 

以前ブログに書いた「連れていかれる山と連れていく山」

takayama.hatenadiary.com


沢やクライミングを一定の水準までやりこみ、また初心者を連れて行った経験があるからこそ、リーダー(先輩)がビギナーに何を求めるか?それは肌で理解しているつもりだった。

AvSARはクライミングで言うビレイのようなものなのかと思った。経験の無い私がBCに行くとしたらほぼ100%先輩(orガイド)に連れて行ってもらうことになる。
ビーコンをまともに使えないということは、それはパートナーではなくお客さんになる気がした。

また、滑走能力の欠如は山スキーにおいては致命的なリスクになると考えた。
沢やクライミングは、難しいピッチが出てきてもリーダーさえ登れればフォローはゴボウやユマールで何とかなることが多い。(フォローも試されることあるけど)

しかしながらスキーはそのようなことはできない。自分で滑って降りるしかないのだ。

幼少期に滑った経験すらない私の滑走能力はミジンコレベルで。沢で言えば、初級の沢でも"全ての滝でロープを出さないといけない"そんなレベルだった。

"山"という不確定要素が多いフィールドさらに不慣れなスキーというアクティビティを行うことは、今の私にはとてもリスクが大きかった。
その中で、"滑走能力の向上"というのは最も効率的なリスクマネジメントであると考えた。

目標はゲレンデトップから麓まで、かっこよく滑れなくても、問題なく降りられること。
クライマー/沢屋的視点で、ボルダリング3級,スポーツルートで5.11aを登れればそれなりのバリエーションルートで困ることはなくなったし、「楽しいな!」と思えるレンジは広がった。スキーでの基準をどこに引くかは難しいけど、"ゲレンデならどこでも滑れる"は一つの目安になるのではないか?と考えている。

現時点で私が山スキーに求めるものはビッグラインやスティープでなく、"スキーを履いて山を移動する"ということ。

しかしながら、ド初心者レベルでは「楽しい」よりも「怖い」という感情が優位になるだろうし、不必要なリスクにもなる。

だからこそ、1シーズン目の冬は使える時間はすべてスキーに打ち込んだ。

 

初めての山スキー

そんなこんなでひたすらゲレンデ練をしていると、友人から「今度乗鞍でビギナー何人かでBCするけど来る?」とお誘いをいただき、無事デビューを果たす。また、GWには至仏山にも行けました!
長くなるのでヤマレコ参照(笑)

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7968242.html

 

最後に

まさか、自分がここまでスキーにハマるとは思っていなかった。(初手でスキー2本買った時点で覚悟はできてたけど)

無事2シーズン目を迎えてうれしい限りである。
まだ数回しか滑っていないけどまた去年とは違う感触もあるし、楽しみだ。
去年はゲレンデ主体だったので、今年はもう少し山に行きたい。


プライベート面でもまた少し変化がありそうなので今後が楽しみだ。

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僕と管理会社の150日戦争

--まさか僕がこんな目に。

仕事の異動で名古屋に引っ越したのが今年の5月末。

引越ししてわずか半年も経たずに再度引っ越しするとは思いもしませんでした。

新しい物件への引越しも終わり、補償云々の話もまとまり、この問題がようやく幕を下ろしたため、ここに記録を残そうと思う。

 

 

転勤の決定と悲劇の始まり

私は転勤族である。入社後、大分に配属され早10年。
ついに名古屋へ異動の声がかかった。早い人は2~3年で転勤することもあるが、色々とタイミングを逃し、気づいたら10年程大分で働いていた。
大分の事務所で今年4月に大き目な人事があり、私の異動はそれが落ち着いて10月ごろの異動のはずだった。
しかし、辞令が出たのは4月。想定よりも半年早くの異動となってしまった。

すでに翌月のシフトが決定しており、異動先の名古屋に足を運ぶことが出来ないスケジュールとなってしまっていた。

仲介会社とメールや電話で連絡を取っていく中でオンライン内見なるものが出来ると知る。コロナ禍の恩恵か、便利な時代になったな~としか思わなかった。

良さげな物件を掲示していただき、オンライン内見のアポを取る。

ビデオ通話で内見した限り、「いい感じだな~」という印象だったので、その物件に入居することを決める。

入居

さて、急な異動で送別会山行や飲み会を開催していただいているうちに、あっという間に異動の日が訪れた。

大分からフェリーで大阪へ行き、高速で名古屋へ。
九州を離れる寂しさと、新生活への期待と不安で胸がいっぱいだ。

名古屋に到着次第、仲介会社へ向かい、新居の鍵を受けとり、新居へ。

ドキドキ・わくわくしながら新しい家に入る。
第一印象は、ビデオ通話で見させてもらった通り、開放的で明るく、周りも静かな良い家だと思った。

その日の夜は持参したエアマットや、キャンプ用のテーブルで夜を明かし翌日の引っ越しへ備える。

異臭発覚(5/28)

5/28日 雨

引越し当日は、生憎の雨。
少しテンションが下がるものの、雨の日の引っ越しは「禊の雨」「恵の雨」と言われ、演技が良いらしい。

引越し業者の屈強なお兄さんと協力しながら、テキパキと荷物を搬入していく。

15時ごろ搬入終了。ふと、「なんかちょっと変な臭いがするな」という違和感を覚えるも

・段ボールが雨で濡れた臭い

・引越し業者の方の汗の臭い

かなと思い、特に気には留めなかった・・・。

 

6/2 夜

引越しの荷解きも最低限終わり、日中はボルダリングジムへ行ったりとリフレッシュ。

楽しく登り、ご満悦で帰宅すると部屋の一角(脱衣所・洋室)から強烈なアンモニア臭がすることに気が付く。
その臭いは、鼻を近づけて嗅ぐと、嗚咽や涙が出るほどの強烈な臭いであった。

異臭発生個所

強烈な臭いがすることを、管理会社の問い合わせフォームにて報告。

日程の調整を行い、第1回目の施工へ・・・。

施工1回目(6/5)

この日は17時から当直入り予定(しかも名古屋に来て初当直)だったため、朝イチで業者を手配。
異臭が発生した場所の確認をしていただく。

巾木(床と壁紙の間にあるアレ)を剥がし臭いを確認してみたところ、非常に強い臭気がすることが判明。また、壁紙を剥がして確認すると、石膏ボードに尿染みアリ。

消毒液(塩素?)のようなものを塗布する。

また、この時に作業に来た清掃業者によると

・以前の住民がペット問題で強制退出させられている

・(小型犬のみ可の物件だったが)大型犬を飼育していた

・脱衣所の扉の損傷が激しく、扉ごと交換した

・大型犬のマーキングや糞尿という事であれば、石膏ボードの交換では済まないかもsれない。

という情報を得る。入居して間もないのに部屋に養生テープが張られることに・・・・。

ちなみに次回の作業予定としては、石膏ボードの交換とクロスの張替え。ちなみに対応できる日は夜勤明けなのであった。

「洗浄で臭いが取れなかったらどうするの?」という事で心配が募る。

 

悶々とした中、新事務所での初夜勤へと向かう。

巾木を外したため養生テープで仮固定

 

怒涛の問合せ(6/6)

夜勤を終え、午前10時頃帰宅。
今後の種まきのためにも、関係各所に電話しまくる。なんだかんだ帰ってから2~3時間電話対応に追われた。もちろん全部録音は残しておきました♡

 

①管理会社(問い合わせ窓口)に電話

物件の臭気の状況を伝えた後「後で折り返す」と言われる。

 

②仲介会社へ電話

物件の臭いが事前にわかっていたか問い合わせるも「知らなかった」と返答を受ける。
※ちなみに告知義務は人が亡くなる、殺人事件といったレベルの案件での義務であり、ペット問題等ではその義務は無いそうです。

 

③①の管理外者から折り返しがなかったため、再度連絡し状況を確認する。
電話窓口専用で話の埒が明かない為、物件担当者の連絡先を入手する。

 

④物件担当者から連絡を受ける。

・前住民がペット問題で強制退去になったことは知っている。

・修繕作業の完了4日前に物件の確認は行ったが、ハウスクリーニング後の臭気の確認は行っていない。

・問題が発生したら"都度になってしまうが対応する"
 →都度対応は精神的・スケジュール的に厳しい。

・次回日曜日の施工時、気になることがあったら併せて指摘しても良い。

・(僕)隣の部屋が空室だが、そっちに入れないか?

 →入居予定があるため不可

・(僕)万が一、石膏ボードの交換で臭いが取れなかったらどうするのか?
 →都度対応すると有耶無耶にされる。

・(僕)もし臭いが取れなかった場合、退去の可能性も0ではない。
 万が一退去するときになったら費用を負担してほしい

 →いまは断言できない。やることをやらせていただく。

新たな異臭の発覚(6/7)

物件のゴタゴタがあったが、妻と近所の御在所にハイキングに行く。

「思ったより近い!」「久々のハイキングきつい」「カレーうどんうまい!」

「次はクライミングで来たい!」と、引っ越してから初の登山を楽しんだ。

しかし、帰ってきてからその楽しさが一転。
やはり部屋が臭いのだ。
しかも何やらLDKの方から臭いがするぞ・・・?
犬のように、床に這いつくばって床と壁の臭い確認していく。
楽しく山から帰ってきてなんなんだ?やりきれない怒りに苛まれる。

そして見つけた。洋室とLDKの間の壁から強烈なアンモニア臭がすることを・・・。

新たな異臭個所

施工2回目(6/9)

もちろんこの日も夜勤明け。帰宅していそいそと修繕作業に立ち会う。

施工したのは、当初発覚した所に加え、新たに発覚した青丸の2個所。

施工個所

巾木を剥がし、クロスを剥がし、石膏ボードを切断して取り換える。

石膏ボードを切断

剥がした石膏ボード。尿のシミがひどい

上の写真は切断した後の石膏ボード。言い表すのできないほどの強い臭気。
山の水が流れない小便器よりと同じか、それ以上の臭気を放っている。
大工さん曰く、これだけ強い臭気だとボードの交換のみで完全に改善されるかは不明。
柱や床材に臭い移りしていたらしばらくかかるだろうとの事。

 

LDKの新たな異臭個所も同様に施工してもらう。壁紙の張替えを含めて要したのは約4時間。


臭い移りが不安だが、主な臭いの根源はなくなったし、臭い移りも時間の経過で和らぐだろう。
自分にそう言い聞かせつつ、ある不安が頭をよぎる。

 

LDK尿シミがあったところにはスライドドアとレールがある。もしかして・・・。と嫌な予感がしてスライドドアを剥がし、分解してみる。

 

ビンゴだ

 

こんなにうれしくないビンゴがあるのだろうか?
ドアの足には犬の毛が絡まっているし、支柱の内部には結晶化したものがこびりついている。板材には変色が見受けられるしスライドドアとレールも臭気の対象。アウトだ。

幸いニトリル手袋が家にあったので、妻と分担して清掃。

左図:犬の毛らしきものが絡まっている

右図:支柱の内部に結晶化した何かがこびりついている。

 

入居したのは5/27。施工している今日は6/9。なんで入居して2週間でこんな目に遭わないといけないんだろうか・・・。

 

先日、物件担当者との電話で「都度対応させていただきます」と言っていた。

しかし、もうすでに僕の怒りはそれでは収まらなくなっていた。

 

"これは有耶無耶にしてはいけない"と思い、段ボールの山からPCを引っ張り出し、対応後夕食の準備を妻に全投げし、段ボールをデスク代わりにキーボードを叩く。


目的は行った対応と要望の整理。

怒りの赴くままに状況、要望、時系列のメモを書いたら9ページにも及んでしまった。

ちなみにこの文章を管理会社に送ったことで事態は急転していく・・・。

 

作成した文書

責任者立ち合い(6/18)

ついに、管理会社の責任者が現地調査に来られた。

先日送付した報告書を片手に、文字通り部屋の隅々までチェック。
(部内会議が行われていたそうな)

臭気が完全に取り切れていないこと及び、今後の夏の暑さから新たに臭気が発生した場合の対応、そして精神衛生上の事等々を勘案して当該物件に住み続けるのは、管理会社としても「正直このままお住まいいただくのは・・・・・。」との判断をいただいた。

 

なお、上記のスライドドアはメーカー(清掃業者?)に送り分解清掃。だったが、板材のところの臭気が取れずに新品交換対応。しかしながら、ハウスメーカーのオーダー品で現在在庫がなく、納品まで少なくとも1カ月はかかる見込みとのこと。

(結局ズルズルと納期が遅れ、退去するまで納品されることはありませんでした。)

左:レールをはずし仮設置した発泡スチロール 右:拡大

 

忍耐の日々

記録的酷暑。全国的に暑いのか、名古屋が特段暑いのかは定かではないが、40℃を超える日も少なくない。
臭気防止のため24時間体制でエアコンを回す。ピーク時は電気代は2万を超えた。

また施工を終わっても臭いがする個所があり、精神的ストレスが募る。

帰ってきたらまず臭いを確認することが癖づく。明確な激臭ではないが、ほのかに感じる臭気・・・。脱衣所も、寝室にも。

 

また、休日に出かけている際も管理会社等からの電話対応の日々。
ようやく沢登りに行ける時間を捻出し、帰路の道の駅で良い気持ちでお土産散策している最中に電話対応をしたことも。

今思えば私も妻も、精神的にだいぶやられていたように思う。

 

引越し

退去する意向を示し、8月には妻と結婚1周年旅行に行き(道中コロナに罹りましたが・・・)ようやくリフレッシュ。

このころからぼちぼちと物件サイトを眺める日々。時期的なものかなかなか「これだ!」という条件の物件が見当たらず。
そして9月上旬、よさそうな物件がHP上に上がっているのを発見し、内見を実施。
改めて思ったけど内見って大事ですね・・・・。
臭いはもちろん、近隣の施設等もいい感じ。
数日寝かせて、ここに入居すると決める。

 

物件を決めたら後はとんとん拍子。

 

引っ越し費用も負担していただけるという事で、荷造り~荷ほどきまでしてくれる引っフルサービスを依頼。
荷解き出来ていない段ボールも多々あったが、再度の引っ越しでかなり片付いた。

ちなみに退去立ち合いには、責任者等含め3人がお見えになった。

 

そして示談

退去立ち合いを終え、後日正式に示談書が届く。

内容は・引っ越し費用、手数料等、手間賃、家賃の減免。
そして、今後この案件に対して一切の金銭的な要求等を行わないとの事。

振り返ると、6月9日に送った要望書通りの要求を呑んでいただいた。
ようやく、終わったのだ・・・。

最後に

慣れない土地、慣れない仕事をこなしていく中で休めない家。物件対応で潰れる休み。

名古屋に移動してきて「夏のアルプスに、沢登りに色々満喫するぞ!」と意気揚々としていたが、これまで書いてきた通り、物件の対応でほとんどの休みを費やしてしまった。本来リラックスできるはずの空間なのに荷ほどき出来ない段ボールの山。

 

真綿のように、じりじりと僕たちの首を絞めていっていたなと改めて痛感する。

入居したのが5/27。示談金が振り込まれたのが10/25。実に5ヵ月。日数にして151日間であった。

 

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」

 

学生の時に見たアニメ、交響詩篇エウレカセブンのセリフををふと思い出した。

示談金は引っ越しや物件の契約手数料諸々を含め、約80万。

泣き寝入りしたらどうなっていたことか?そのまま臭気に耐える生活?自腹を切って引っ越し?

"権利を勝ち取るには戦わないといけない"事を肌で学んだ150日間であった。

 

今回の一連の騒動において、管理会社も正直被害者であり、真犯人は前住民であることは間違いない。彼にどのような過ちがあって飼育放棄に至ったか定かではないが、飼い主である彼が犯人なのは間違いない。ペットに罪はないと思っている。

 

最初は「僕 vs 管理会社」かと思っていたが、話が展開していくうちに「"僕 with 管理会社 "vs前住民」だなと感じるようになっていった。

 

最後に、この件に関して様々な助言をくれた友人、同僚、そして共に戦ってくれた妻に感謝を。ありがとう。

 

P.S

新しい物件はなかなか調子がよく、本当に引っ越してよかったな~と快適な日々を送れています。

 

 

 

 

20代をどう生きたか。

君たちはどう生きるか?」昨年、映画化されました原作・映画はみられましたか?

私は機を逃して、見損ねました。

 

さて、早いもので30歳ももう目の前。こういう機会もないと過去は振り返らないので、「20代をどう生きたか?」振り返ろうと思う。

一言でいえば激動。就職、結婚、そして山。

狂ったように山に行き、気づいたら結婚をしていた。

学生の頃の自分は、将来の自分がこんなにもアクティブになっていることを想像できただろうか?今の自分が在るのは過去の選択と経験の積み重ねと思っているので、1年毎に辿って行こうと思う。

誰のためにもならない駄文に長文、こんなの読むんだよという気しかしない。

 

20歳(2014~2015):分岐点①父の死と就職。

いきなり重たいですけど、一番大きいのは父親の死。在学中から通院・闘病生活。

国家試験や就活をしつつ看病する日々。精神的な持病を拗らす母。

まもなく30歳を迎えますが、精神的に一番しんどかったのはこの時期だったかもしれない。衰弱していく父、やつれていく母。姉は大学進学しており県外。

とはいえ自分もまだ19歳。できることは限られる。

ちょうど今の会社に内定をいただいた時期だったが、そういった家庭の事情もあり内定辞退させていただこうかと思った。そんな中父に「お前の人生だ。その会社に就職しろ」と言われたのは今でも覚えてる。癌が全身に転移してしまっており、11月に他界。せめて俺が卒業するまでとギリギリまで働いてくれた父に感謝しかない。

父が亡くなってから、それからどうやって生きていたかは正直ほぼ記憶にない。

ただ、精神的にだいぶしんどく、内定もらった後は割と不登校気味になっていた。

せめて成人して就職する姿を見せたいとか、酒を一緒に飲みたいとか子供心ながらに思ってたなぁ。

父の死も当然ながら、一番しんどかったのは親戚や周りの人々からの「お前が頑張れ。しっかりして家を支えろよ」という言葉。

いや、まだ学生だし、生前も自分なりに色々しましたよ。父の後追いをしようとした半狂乱の母を何度も止めたし。学校やバイトから帰るたびに「二人とも生きてるかな?」と安否確認の日々。それを経て父親の死。

今思えば自分の人格形成の大きな点はここにあるのかなと思う。

何か悲しいことがあっても「仕方がない」と割り切るだけで悲しいという感情はほぼ無くしたし。その代わりに、「与えられた環境で何とか生きる。」という力は身に付いたように思う。

 

時はたち、鹿児島の専門学校(無線科)を卒業し、社会人として新たな人生を進めることになる。

普通はじめての一人暮らしと言えばホームシックになったりしたりするとも聞くが、一切そんな感情はなかった。むしろようやく解放されたなという気持ちの方が大きかった。

さて、船舶関係の弊社の事業所の大半は太平洋ベルト上(博多、北九州、広島、大阪湾、伊勢湾、東京湾など)にある。その中で私が配属を命じられたのは"大分県"

辞令をいただいた時には地理感も曖昧で「ん?大分?福岡の横よね?あまり大きい港のイメージはないけど・・・」と思ったのを今でも覚えている。

 

ちなみに、今の私からイメージはつかないかもしれないが当時の趣味はネトゲとアニメ。深夜までボイスチャットを繋ぎゲームをしているようなタイプだった。

まさかこの配属がここまで私の人生を大きく変えるものとは思いもしていなかった。

 

社会人1年目で中古で車を買い、自動車税やらローンやらでカツカツだった日々。今までで一番の貧乏生活。食費は2万代で凌いでいた気がする。

 

また、そこまでどっぷりアウトドアにハマっていたわけでなく、あくまでまだぴちぴちのハタチ。お酒も飲みたいお年頃。ただ大分に一切の友人がいなかった僕はmixiの社会人飲み会サークル的なのに入り、飲み歩く。そのツテで知り合った知人がバドミントンをしており、バドミントンを始めることになる。

あ、学生のころから付き合っていた彼女と別れたのもこのころだった気がする。

 

 

21歳:分岐点②アウトドア(キャンプ)を始める

まだ普通に街の人として生活をしていた時期。

デスクワークの日々。当初は学生の時と同様、ネトゲにいそしんでいた。

しかし、毎日狭い事務所でモニターとにらめっこ。外で遊びたい!!

職場のOJT担当の先輩(いまや素晴らしい山のパートナー)と「よし、キャンプをしよう」と延岡のキャンプ場へ。そして、キャニオニング。これが僕の山人生の始まりであった。今思えばキャンプ場は傾山の麓の中岳キャンプ場。キャニオニングは藤河内渓谷であった。今でも好きな釣りや沢登りでよく行くエリアだ。

初めてキャニオニングのツアーに参加し、港町で育った私にとって、泳ぐ=海。川で遊ぶのはこれが初めてだった。渓谷の森の美しさ、水のきれいさに感動。ガイドさんが言っていた「ここら辺は花崗岩の一枚岩だよ。」という言葉の真意に気づくのにそう時間はかからなかった。

また、バドミントンサークルにいくつか入り。(最大週3ぐらいで練習してたかも?)

このころからmixiのサークルからは縁を切り、バドミントン仲間と飲みに行ったり釣りに行ったりとしていた。ぼちぼち大会にでてみようと思うが結果は惨敗。多分バドミントン向いてない笑

あと、バドミントンサークルつながりで彼女ができる。

彼女とデートをしたり、ライブに行ったり、キャンプにいったり。

ここまではちゃんといい感じの20代。

しかし、キャンプを重ねていくうちにだんだんを自然にのめりこむように。そして芽生えたのは「山に登りたい」という気持ち。

数回冬のソロキャンプを経験(時代先取りしてね??)した私はおそらく根拠の無い自信があったのだろう。職場の先輩K氏と冬の由布岳に登ることに。(2015/1)ちなみに二人ともまともな登山経験はありませんw

今思えば地図も読めない、チェーンスパイクも持ってないしで中々無謀な登山者ですね。ハンセイシテマス。ただ、鹿児島の出身の自分にとって雪景色は初めてで「あ、山に登ったらこんな素晴らしい景色がみられるんだ」と感動した。

ちなみに初登山のくせにブロッケン現象を見ることができた。そりゃはまりますね。

それからも由布岳やくじゅうといろいろ山に通っていた。

左:傾山の麓でキャンプ 右:はじめての由布岳



22歳:分岐点③登山沼に嵌り始める・・・

バドミントンに釣りに登山に、いろいろと遊びまわっていた時期。

今も使っているストームクルーザーはこのころ購入。雨でも登りにいっていたw

初めてくじゅうで紅葉を見たのもこのころだった。(2016/10)

いままで紅葉に感動したことはなかったが、山全体が赤くなっていて初めて紅葉に感動した。

また、このころから同棲が始まる。

左:山の紅葉に感動する 右:少しずつ装備が増えていくw



23歳:分岐点④クライミング志向に。

どっぷりと山にはまり始めたとき。

冬の冷たい雨でも登ったりしている。仕事も慣れてきたころでこのころのモットーは「よく働きよく遊ぶ」

山岳テントを購入する。大崩山の岩峰に見惚れる。下山で膝を痛める・・・・。

腸脛靭帯炎でした。筋力不足と歩行技術のなさからでした。

しばらくリハビリ生活。

山に通う日が続く。くじゅうにてテント泊デビュー(2017/10)

また、ロープワーク(ハイカー向けセルフレスキュー)を受ける。

 

冬靴・アイゼン・ピッケルを購入。K氏と初冬の傾山に登る。

当時はまさかこんなにも傾山に通う事になるとは思いもせず・・。(ちなみにアイゼンピッケルを使うところはなかった笑)

んで、冬の観音岩でドラツー。これまでに人工壁(リード)や、ハイキング向けのロープワーク講習を受けていた記憶。このころは「山登りでロープつかうって、どういうところに行くんだろう・・・?」というレベル。

ロープを使い始める。このころから歯車が狂い始める

また、そのころに外岩(本匠)デビュー

ハードシェルを買い、冬の石鎚へ。九州で何度も冬は登っていたが石鎚は初。

半分近くうもった鳥居にわくわくする。ちなみにこの辺りはすべてK氏と。

(二人とも初心者なのでお互い試行錯誤しながら山に通っていた。今思うとこのころからちゃんと撤退ラインを決めて計画を立てていた。だから多分今も生きているんだとおもう。)

大雪警報の中、当時の自分のフル装備(メット・ハーネス・30mロープ・ATC)をもって冬の由布岳西峰に。かろうじて登れたが、下山は鎖が凍結していて持てなかった。

初めて現場で懸垂下降をすることになる。ちなみにソロ。若さだねえ・・。

多分今なら懸垂しなくてもクライムダウンできると思う。

 

そして、インスタで幅を利かせていた(?)登山サークル"ハードハイカーズ"に加入させてもらうことになる。分岐点⑤

山登り同級生のK山さんとは冬の石鎚や大山へ。

ハードハイカーズに冬の根子岳、大山北壁に連れて行ってもらう。

ちなみにこのころは「かついでなんぼ!」のメンタルだったので冬壁にビール6本持って行ったしコーヒーミルも持って行った。重さで足つり、喘ぎながら登ったのはよく覚えている。今ならたぶん半分の重さにできる笑

きつかったけど、あの時の北壁は素晴らしかったなぁ。(2018年3月)

左:根子岳 右:大山北壁(滝沢尾根)



24歳:沢登りデビュー

ハードハイカーの方々に連れられて沢登りに。

おんぶにだっこは嫌だったので(?)ひとまずソロで一番簡単そうな沢に。

選んだのは祖母山の黒金谷。見た目「行けるでしょ」な小滝もなかなかスリリング。当時の私よ。沢デビューは人と行きなさい。

沢の楽しさを知る。

それを筆頭に祖母山や、椎葉や祝子など、いろんな沢に行ったなぁ。

また、秋には鷲ヶ峰、冬には八ヶ岳(赤岳主稜・峰の松目沢)など色んなバリエーションルートに連れて行ってもらっていた。

赤岳主稜や、ジョウゴ沢など冬季登攀も始める。

25歳:沢にハマる。マルチデビュー

借りてばっかりだったカムを買う。当時はまだクラック思考ではなく、沢登りのために。なんで1~3を買ったんだろう(笑)

とりあえず隙間という隙間にセットして練習していたw

自立して沢に行き始めるようになったのはこのころからかな。

少しずつ「連れていく山と、連れていかれる山」の違いを意識し始める。

そして、ハードハイカーが諸事情により解散(?)するw

初級沢なら自分リーダーでも行ける様になったころなので、平日組をナンパして

沢に通うようになる。

 

夏には北アルプスデビュー。Twitter仲間のコタオ氏と縦走。

九州の山しか知らな自分にとって衝撃だった。

また、このころから「海外に行きたいなあぁ」とふわっと思うようになり、1年ほどワーホリで休職するぞ!と会社に根回しをしていた時期w。

 

そしてマルチピッチデビュー。

ここまで書いてて、ようやくマルチデビューかい!という気持ちw

K山さんにニードルに連れて行ってもらう。

元々沢から始めたので、クライミング的な不安はあるものの支点構築や懸垂は臆することなく望めた。

K山さんはもともとクライミング派で、自分は沢から始めたという感じだったので、

マルチはK山さんに連れられ、沢は自分が案内してと持ちつもたれつのような感じで色々行ってていた。

沢に、アイスに、マルチに、オールマイティーに色々登っていたころ。

何もかもが新鮮で楽しかった。

また、同棲していた彼女がキャリアアップ(医療事務➤看護師になりたい)とのことで、宮崎の学校へ。遠距離スタート。分岐点⑥

左:初めての北アルプス 右:初めてマルチ!

26歳:新型コロナ。今までの日常が一機になくなる。ワーホリも無しに。分岐点⑦

ライミングも山も行けず、ストレスのたまる日々。タイミング悪く?遠距離になったしね。

三密(今見ると懐かしいですね)を避け、釣りを再開。Twitter仲間とオンライン飲みや、麻雀をしていた。

それなりに自粛はしつつ、山には登っていたようだ。

沢泊をしたり、難しのマルチに行ったり。このころから黒稜会の方々とよく遊んでもらっていた。また、三倉に行きクラックの沼にハマり始める。

左:初めての三倉 右:根子岳。この数日後・・・

2020年11月、根子岳で遭難者の捜索救助を行うことになる。分岐点⑧

直前に行ったた山。初対面だったけど、山中ですれ違って立ち話した方。そして死。

ロープを出す山をするようになって、漠然と「死は間近にある」とは思っていたが、一番強烈に印象に残っている。

その日はちょうど休み。友人から「阿蘇で遭難発生。捜索救助手伝える?」と連絡が。

友人との予定をバタバタとキャンセルし、阿蘇に向かう。入山は夜。要救助者1名(滑落した方)はすでに亡くなっており、付き添いでビバークしていたもう一名を介助しながら下山。

自分たちはクライミング沢登り等、アクセスすること自体が困難な所を遊ぶフィールドとしている。そんな中、公的な救助機関に救助してもらうことになるが、遊ぶ場所が場所だけに、救助活動が困難になること。そして人は簡単に死んでしまうこと(この時はベテランの方だったけど、懸垂下降のすっぽ抜けだった。)を痛感。

父親の死以来数年ぶりに人の死を目前にし、帰りは号泣した。

根子岳捜索救助

ライミングをやめようかと頭をよぎった。

でも辞めることはできなかった。

しかし、自分たちがやっていることはすぐ死のリスクがあるという事は常に意識するようになった。万が一があっても最悪の事態に陥らないようにどうするべきか?とさらに強く考えるようになった。

 

また、2021年2月には大山北壁-備中-大堂海岸と意味の分からないクライミングトリップ。独り身を満喫する。

 

27歳~28歳:クラックに傾倒する。開拓クライマーと出会う。分岐点⑨

福岡のY本氏と、宮崎のE本氏と、そしてレジェンドH井さんと開拓に通うように。

いままで自分にとってクライミングとは、「誰かが拓いたものを登る」という認識しかなかった。それにクライミングの経験も浅い。整備もしたことが無い。そんな自分にとって矢筈や比叡の再整備は「クライミングのエリアって自分たちでつくって、また残してい行かないといけないんだ」と自分のクライミング感を変える大きな1歩となった。

掃除デビューは比叡のロックタワー

また、ひとしきり経験を積み、いろんなところに行くようになった年だった。

岩も沢も記録のほとんどないルートに惹かれるようになっていた。

岩は

・ムササビファミリールート、

・北壁橋井ルート

・矢筈ラプソディ

屋久島フリーウェイ

・行縢山南壁Gルート

沢は

・境谷(市房)

・山之口谷

・ニタノオ谷

・武平谷下降

そして大滝登攀。

一見不可能であろうラインの弱点をたどり、持てるすべてを出し切って、残置をせずに、グランドアップの初見で完登する。

ロクスノにのせる?との話をしたけど投稿しなかった。今まで何度かロクスノも掲載していただいたが、それらにも引けを取らない最高の登攀だった。

元々沢登りからロープを使うようになった私はグレードにあまり執着がなく、登攀力は「登りたいところを登る」ための手段の一つでしかないことに気づく。そしてその"登りたいところ”というのは看板課題でも高難度(グレード)でもなく、ただただ見た目の美しさ・かっこよさという事に気づいた。

左:平日原色チーム 中:境谷桃源郷で沢泊 右:ムササビファミリールート

自分はフリークライミングはいまだにせいぜい11代しかRP出来ていない。人工壁に行けば5.12をPRするクライマーがたくさんいる中で、自分の純粋なフリークライミング力は劣っている方だ。しかし、情報が無いカッコいい所を登る為の押し引きの判断やチームが生きて帰るための細かい引き出しは少しだけあるように思う。

既存の所に行くよりも、知らないところを登りたい。という感情が芽生えるようになる。それからというもの、傾山南壁や、大崩山への開拓へと足を運ぶこととなる。

(K山さんやH井さんのプロジェクトに付き合っていた"だけ"とも取れるが、それでも未知の壁に挑むのは楽しかった。数知れず通った傾山は最高だった。

大滝登攀をしたり。
幾度となく傾山に通った。最高のクライミングだった。

29歳

情熱も落ち着き、楽しく登る時期に。

ひとしきり九州の有名どころの沢や岩場にいき、マンネリぎみの年。

妻と同棲を始めたり、アルプスへ遠征したり等比較的のんびり過ごす。

28歳,29(2022-2023年)の振り返りはしているし省略でいいかなw

妻殿と鳳凰三山縦走。

こうして振り返ってみると20代は本当に"山"だったなと思う。

山を通して色んなことを学び、育てられた。

こんなフラフラとしていた山に登っていた自分と結婚してくれた妻には感謝している。

 

もし最初の赴任地が博多や関東の都市部だったら、おそらく山登りなんてしないで飲み歩いたり、もっと違う人生を送っていたと思う。

 

 何となくキャンプを始めたこと。山登りを始めた事。ハードハイカーに飛び込んだこと。職場の先輩と切磋琢磨できたこと。

与えられた条件の中で選択してきた事。出会いと別れは幾度となく繰り返したが、山を通じて様々な人に会うことができた。

その縁が、選択が積み重なって今の自分があるなと改めて思う。

 

 本州の山への憧れは今でももちろんあるが、九州で開拓クライマーに出会い、少なからず開拓に携われたこと。書籍に名前が載ったことは誇りに思うし、お陰様でそれなりに遠征に行った時にも「あ、たかひろさんですか?」と認知して頂けていることも増えた。

 

 戦争や疫病、円安も進み、一生涯安泰とは言えぬがそれは神のみぞ知る世界。

将来、子供が出来るかもしれないし、生涯妻と二人かもしれないし。離婚するかもしれないし、山で落ちて死ぬかもしれないし。明日事故に遭うかもしれないし。一寸先は闇。

人と比べ始めたらきりがないことはもう十分に経験したし、与えられた環境で、自分がとった選択が正解であるという信念を持ち、慎ましく毎日を過ごしていく中で、ちょっとずつ自分の人生の厚みを増して行けたらなと思う。

サンキュー、20代。よろしく、30代。

 

主要な記録。印象に残った山だけ抜粋している。

 

 

 

ありがとう2023

どうも、半年ぶりの更新です。

前回はinreachについて。そして前々回は2022の振り返り。年間2回しか書いてませんね...。

 

出不精ですが振り返りぐらいはしましょうか。

(インスタすら更新しなくなりましたしね)

 

1月

・遠征

八ヶ岳遠征の予定が、大寒波。伯耆大山に転身。

 

2月

・神原本谷(祖母山アイス)

・エンドウォール開拓

 

3月

・帰省

・エンドウォール開拓

傾山トップアウト

・本匠クライミング

4月

・比叡マルチ(左峰カンテ)

・渓流釣り

・エンドウォール試登会

・マルチ(行縢 Sunflower)

・辺クラ(九十九島

 

5月

・友人結婚式(博多)〜風邪(コロナ?)

・沢泊(上の小屋谷)

阿蘇ヤマキリシマ

・イボ完治。半年かかった

・日田観光

6月

・プロポーズ〜湯布院観光

・渓流釣り(椎葉)

傾山開拓

・指輪作成(福岡)

 

7月

・送別会遡行(鹿川)

・災害ボランティア(中津)

床上浸水、土砂流れ込みの撤去

・渓流釣り(鹿川)

 

8月

・指輪受け取り

・入籍

由布川ゴルジュ

根子岳整備

・エンドウォール開拓

 

9月

・新婚旅行(南アルプス

 

10月

・ウェディングフォト撮影〜キャンプ

傾山ワンプッシュ

・エギング

・くじゅう紅葉

・日出マルチトレ

 

11月

・矢筈

・糸島観光(牡蠣小屋)

・行縢マルチ(飛ばない玉ねぎ)

・三倉

12月

・ウェディングフォト撮影準備(ユマール練習など)

・竹田観光(岡城)

・岸良遠征

・義妹挨拶

・帰省,顔合わせ

 

やはり1番印象に残ったのは結婚だと思う。

がむしゃらに山に登る一方、仕事やらなんやらでメンタルをやり気味の時に支えてくれたのは妻でした。

鹿児島-大分と遠距離でしたが、かくかくしかじかで半同棲状態になり、付き合い、同棲したのは昨年の夏。今年の6月にプロポーズし、山の日の8月11日に入籍しました。

まさか結婚するとは思っていなかったけど、人生不思議なものですね。

自分はどちらかと言ったら冒険系の山が好きで、記録のない沢やマルチといった未知への挑戦系がメイン。対して妻はのんびりハイキング系。

先日くじゅうに一緒に行ったが「歩いてると頭を空っぽにできてよい」とぼそっとこぼしていた。

自分にとって山とは挑戦で、常に考え続けるフィールドだったので、そういう考え方もあるのかと目から鱗だった。

 

岩の部では、以前から続けていた傾山の開拓がようやく終わり、安堵感が大きい。今年1番の印象はやっぱり傾山かな。

合わない日程、恵まれない天候、鈍る体....。

不安もたくさんありしたが、山を始めるきっかけとなった先輩と、この壁をやり遂げたことは自分にとって大きな財産になった。おかげさまでロクスノにも掲載していただいた。

ロクスノと言えば、長崎九十九島も開催された。

脆い岩質で泥臭い登攀。強風によるフェリー欠航。めちゃくちゃ面白かった笑

 

エンドウォールが公開されたのも九州にとって大きなイベントの一つだと思う。

微力ながら掃除の手伝いと、T氏と協力して、一つのルートを拓くことができた。ルート名は百日紅さるすべり

2Pながらもワイド〜スラブ〜薄被りのハンドと面白い。

 

沢や大滝登攀はほとんどいかず、サマン谷や鹿納谷、渓流釣りが多かった。

しかしながら、T氏と行った由布川渓谷は印象に登っている。沢の経験値が増えた今、遡行中に畏怖を覚えることはほとんどなかったが、由布川渓谷ではそれがあり、久々に飲まれた。

狙いのみこやしきの滝では、自分のプロテクションセットが不十分でフォール。敗退となってしまった。未知だったが、少しは勝手がわかったのでまた挑戦しに行きたい。

 

例年に比べてガツガツと山に登る回数は減ったし、歩きも弱くなった気がするけど、一回一回が濃厚だったように思う。

 

来年も楽しく、わくわくする様な山をやりたい。(家庭も大事にするぞ!)

 

Garmin inReach Mini 2 ~運用編~

昨年8月、GarminのinReach Mini 2を購入し「こんな機能があるのか。」「こんな感じで使えたらいいな~」というレビュー記事を書きました。

Garmin inReach Mini2 - アル中クライマーの忘備録

購入から約1年間、それなりに使用してきたので実際にどのように運用しているかをまとめていきたいと思う。

導入

Garmin messengerのダウンロード・登録

前回の記事で、"普段登録しているメールアドレスが使用できる"と書きましたが、しばらく使用しているうちに半分正解で半分誤りだという事に気づきました。

一方的にメッセージを受信するだけなのならメールアドレスで構わないのですが、双方向のやり取りをしたい場合、メールに記載されているリンクからの返信では送信履歴が残りません。

そのため、頻繁にやり取りをする家族や留守本部はGarmin Messengerのアプリをインストールし、その連絡先(電話番号)でやり取りした方が絶対良いです。

ちなみにGarminのデバイスを持っていなくても、電話番号だけで登録可能です。

www.garmin.co.jp

inReachの機能と運用方法

プリセットメッセージ(現:チェックイン)

あらかじめ設定したメッセージを位置情報付きで送受信することが出来ます。

登山開始時には送信するようにしています。それ以降は、大きな分岐など要所要所で送信し、大まかな状況が分かるようにしています。

特に渓流釣りでは、水量や現地の状況次第で複数の谷を転々とする事があるので重宝しています。

※以前はプリセットメッセージとして、3つの任意のテキストを設定し、課金することなく無制限で送信することが出来ましたが、2022/09/27以降のアカウント登録ではチェックインメッセージに置き換わりました。詳細は下記参照。

inReach:チェックインメッセージに関するよくある質問 | Garmin サポートセンター

不便になるようにも思えますが、ここ半年使用した限りでは"入山/下山" "異常なし"のメッセージを送ることが大多数だったため大きな影響はないと思います。

時折"遅れるが問題なし"というメッセージを使用していましたが、メッセージを使用するか、あらかじめ家族と"3番目のチェックインメッセージを送った時は遅れる"と打ち合わせておけばカバーできると思います。

プリセットメッセージとクイックメッセージ。プリセットメッセージの設定は現在は不可。

メッセージ

スマホと連携し、自由にメッセージを送ることができる。私は一番安いセーフティープラン(10通/月まで無料。以降1通ごとに$0.5)なので、ケチりがちです(笑)

また、テンプレとしてクイックメッセージを10個登録することができます。

実際に、下記の時にはinReachを使用して家族(留守本部)とやり取りをしました。

・提出した山行計画から変更が発生した時。

・行程が遅れる可能性があった時。

・下山が著しく遅くなった時。

・沢泊の行動終了の報告と、翌日の天気確認

位置情報付きのメッセージを送ることが出来る。※Messengerでは違う形式で表示される。

Messengerアプリ(受信者)の画面。Lineのようにやり取りができる。
Messengerアプリからはこのような位置情報の表示になる。
地形図が表示されないため、正直見にくい。

ラッキング

位置情報を一定の間隔で送信することが出来ます。最安のセーフティープランだと1ポイント毎に0.1ドル掛かるので、スマホやinReach本体をあまり触る余裕のないここぞという山行でしか使用していません。

泊まりの沢に行くときに、1時間毎に送信するように設定してみました。後述のMap Shareで見ることが出来ます。

 

Map Share

機能としては、Yamapやヤマレコ等に搭載されている"みまもり機能"に加え、メッセージの送信と位置情報の検索が出来ます。。

みまもり機能は携帯の電波が入った時しか更新されませんが、inReachならずっと圏外でも大丈夫。

※受信者へのメッセージは届かないため、定期的に確認する必要があります。

また、メッセージの宛先にMapshareを入れる事で、ページを知っている人ならだれでもメッセージを見ることができます。

1時間毎のトラック送信+プリセットメッセージを送った時のMap Share画面

注意事項

送受信に時間ががかかる時がある

稜線上では基本的に1分程度で送信されますが、谷筋だと時間がかかります。
inReach本体を防水袋に入れ、雨蓋に入れて沢登りしていますが、今のところ位置情報を送れなかったことはありません。
移動しながら空が開けているところに出たタイミングで送信されているのかと思われます。

また、移動しない場合は30~1時間ほど待つと送信されます。

inReachのメッセージの送受信に使われている周回衛星が、頭上に来たタイミングで送信できるのだと思われます。

https://www.soumu.go.jp/soutsu/shikoku/chosa/eisei_inet/pdf/bosai_06.pdf

総務省 衛星通信サービス概要。

普及しておらず、受信者が不慣れ

いざ、inReachを購入した所で、マイナーな機器の為に受信者をお願いしにくいです。

この記事によって、そのデメリットが解消されることを祈ります。

Garmin Messengerアプリ上では地形図が表示できない。

Garmin messengerでのやり取りでのデメリットとして、なぜかメッセンジャーアプリ上で地形図を開けないという事。メールに添付されるリンクだと見ることが出来るので、両方に送信するように設定すれば一応は解決します。

また、Garmin Messengerに記載されている座標をGeographicaや国土地理院で検索すれば地形図状で位置を表示させることが出来ます。

若干手間がかかるが、登山地図アプリで位置情報を反映させることが出来る。

導入した感想

登山者として

 衛星通信なんて、海外遠征や高所登山するわけでもないのに。大げさな。と思うかもしれません。しかし先日、渓流釣りで入渓直後に滑落。自ら救助を呼ぶことが出来ず3日後にようやく救助された方もいらっしゃいました。

 冬山登山や沢登り、渓流釣り等のリスクの高いアクティビティを行う中で、"どこでも連絡が取れる"という事は冒険性が損なわれてしまうのも事実。しかしその反面、家庭や社会人としての立場がある人が、そういった山行をするのであれば自分の状況を報告できる状態にしておく必要性もあると思っています。

 初期費用として端末代が約5万円。また、月額2,000円弱は高く感じますが、iPhoneが軽く10万を超え、通信料も数千円するこのご時世からすると決して高い投資ではないと思います。

(と、長ったらしく書きましたが要約すると「家族に不安な思いをさせずに思いっきり山を楽しみたい」なのです(笑)

家族として

いつも留守本部をお願いしている彼女(登山経験あり)に、自分がinReachを使うようになってからどのように感じたか、聞いてみました。

 

--待つ側の立場として、inreachは必要だと思う?(Yes or No)
Yes。
特にパートナーが、整備され携帯電話の通じるような大多数がしている登山でないので尚更。

 

--パートナーがinreachを持つことによって、何か変わった?

下山完了の連絡が来るまであった、不安がかなり減った。
現在地や進捗状況が把握出来るのはもちろん、万が一何かあった時にある程度の居場所がわかる事の安心感。これは絶大。(人生史上最悪な場合になったらせめて身体は帰って来て欲しい)

 

--メリット・デメリットがあれば。
【メリット】

・圏外になる山行が多く、みまもり機能は使用できず。ココヘリでは、パートナーがどういう状況にあるかわからないので、衛星通信が出来るinReachは安心感がある。


・遭難時の捜索スピードアップと生存率を上げるはず(遭難の経験がないので、はずとしか言えない)

【デメリット】
・ごくごく稀に位置情報の誤りがある。(1回だけ経験済み。非常に焦った)
 →おそらくテスト送信を大量に行っていた際の未送信だったメッセージが時差で送信されたものと思われます。
・地形図(例えばジオグラフィカ等)で見たい時に、若干の操作が必要な事。
(ガーミンとジオグラフィカが連携できるとありがたい。)
・送信に時間が掛かることがあるので、送られて来た位置情報が現在地とは限らない。
・自分の登山スタイルでは日常的に使わないので、習得し理解までに時間がかかる。頻繁に使わないとうろ覚えになるので、復習がいることも。(広い心で教えて下さい)


--ご自由に感想・所感をどうぞ!
金額の問題はあるがそれ以上の良さはあり。今思えば1割でも(たった1割りかい‼笑)手出ししても良かったなと思うぐらい、とにもかくにも待つ側の心の余裕が出た。

とても重要だと思うのが、パートナーと一緒にインリーチの使い方の擦り合わせ、文言やパターンの認識の統一は必要不可欠かなと。これがすれ違っては話にならないかと。

もしも救助になった場合、救助要請はもちろんだが(インリーチにSOS発信機はあるけど)、その日の山行は自分以外にも誰かに情報共有されているか、パートナーの山仲間にも即連絡すべきか、その時は誰に連絡すべきか。
「インリーチがあるから安心!」ではなく、日頃パートナーが、どんな山行スタイル、どんな山仲間がいてその仲間同士はどんな繋がりがあるのか、今回の装備は何か。
そういったパートナーの様々な情報を日常会話で触れておく事は、最悪の事態に貴重な情報源になる可能性もあるので、安心しきって胡座を描いていいと言う訳ではないなぁと。
なので日頃のコミュニケーションも大事だなと、改めて実感。
(彼はコンパスも利用しているのでそこも助かってます)
(よく遭難記事で見る「知らなかった」「興味なかった」ってあるけど、山をやっているから大丈夫ではないよね)

 

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それでは、良い登山ライフを!

 

2022振り返り

早いもので、もうすぐ2022年が終わろうとしています。

年をとればとるほど、1年が短くなっていくような気がする・・・。目まぐるしく過ぎていく日々を忘れないように、一年を振り返りたいと思う。

 

【クライミング(マルチ)】

屋久島フリーウェイ(12P 5.10d)

・小積ダキ 蜘蛛の糸~中央稜(11P)

 

【クライミング(トラッド)】

矢筈

アメリカドリーム1P、2P OS

 

名張

・Crack Baby 5.7 OS

名張入門 5.9 OS

・ミニラ 5.10b OS

・Surf Rider 5.10d 4RP

Surf Riderはフィンガー。プロテクションが細かく、緊張する。

0.2,0.3に落ちるも4トライ目でRP

 

【クライミング(ショートルート)】

本匠

・アイミスユー5.11b RP

・ナマコの泪 5.12a ×

八方が岳

・Remember 5.11a OS

日向神

・ウシ子 5.11b RP

・初孫 5.12a ×

 

【クライミング(ボルダリング)】

八面山 ノーズ 2級 RP

 

【沢】

・小川谷廊下(丹沢)

・石並川ゴルジュ

・そごう谷(釣沢泊)

・猪焼谷

・山の神谷

 

【アイス】

・鷲ヶ峰 赤谷

・宇戸内大滝(トップロープ)

・大永山アイス(四国)

稲叢山アイス(四国)

 

【整備・開拓】

傾山南壁

・大崩山湧塚

・比叡三つ子ハング

・矢筈下部岸壁

・鷲ヶ峰整備

根子岳整備

 

【大滝登攀・辺クラ】

・矢研の滝(宮崎県都農)

栴檀轟(熊本県八代)

・鼻熊(宮崎県延岡)

 

【ボランティア】

・チェーンソー講習

・国見岳捜索

・災害ボランティア(床下浸水のかき出し)

 

【ハイク】

くじゅう17サミット 1day

 

こうして書き出すと、いろいろな事ができたなと思う。"山"という大きな括りでは何も変わっていないが、開拓やボランティアなど、様々な刺激があった。

1つ目はボランティア。災害対策の一環でチェーンソーの使い方やメンテナンスを行った。

また、国見岳の遭難救助については登山者としての安全意識や救助者側の意識ということも当然ながら、組織と活動する事、自分の立場、出来ることと出来ないこと、仲間の考え方など普段意識しないところについて、より深く考えることができた。

台風14号の到来で熊本-宮崎に被害が出た。

個人的な都合で1日しかボランティアに参加できなかったが、床下浸水の泥のかき出しを行った。

 

2つ目に、今年は開拓する機会が増えた。

大滝登攀や、船アプローチの辺境クライミングをすることが出来た。

傾山、大崩山等アプローチに数時間かけるところにも通うようになった。

いずれにしても、記録がないところを登るという恐怖、不安、プレッシャー、緊張、葛藤。

そして冒険するワクワクとと達成感を知ることが出来た。

 

半面、フリークライミングに力を入れることは出来ずに、グレートはほぼ変わっていない。仕事も忙しく、平日のジムもほとんど行けなかった。

山歩きもほとんどしなかった。沢もあまりいけなかったし、下半身は弱体化してしまった。

(20kg前後のギアを背負って数時間のアプローチ等をしていたので、そこまで落ちてないと祈りたい・・・・(笑))

 

クラックを触る機会が増えた(?)おかげか、初めての名張で全便リード。

10dのサーフライダーを1dayでレッドポイント出来たのは純粋に嬉しかった。

 

今年の初旬は燃え尽き症候群のような感じで、山に足が向かわなかった。

何かと忙殺された1年だったが、彼女ができ一緒に住むようになった。

下界での生活を大切にしながらも、来年もいっぱい登りたい。

 

2023の目標

・かっこいいところを登る。

・楽しく登る。(壁も、山も。)

・トラッドで5.11を登る。

・スポーツで5.12を登る。

・源流尺ヤマメを釣る。

Garmin inReach Mini2レビュー

 

Garmin inReachi Mini2の日本語版が2022年4月20日に発売されました。

基本的な概要や導入方法、大まかな機能についてはほかの方がまとめてくださっているので省略。

今回、留守本部役を置いたうえで機能テストしてみた。結構使える気がしたので、忘備録として残しておく。

 

少し前置きというか前提条件を。

自分は普段、コンパス経由で登山届を提出しており、緊急連絡先を彼女にしている。

なお彼女自身も登山に精通しており、私がどういうアクティビティをしているかも理解している。今回は彼女氏を留守本部に置いた想定での試験運用とした。

 

利用想定① :留守本部(家族)への定時連絡。

利用想定②:メッセージの送信

利用想定③:緊急時の位置検索

利用想定④:トラックの送信/共有(Map share)

 

利用想定① :留守本部(家族)への定時連絡。

おそらく、最も高頻度で使用する機能。インリーチの3つの料金プランの中で、最も安いsaftyプランでも使い放題。

"位置情報付き"のプリセットメッセージを回数無制限で送信できる。

 

サラッと書いているこの機能・料金がインリーチの真髄と思っている。

 

山行のほとんどは問題なく下山できる。緊急時のために5万円もする端末を買って、月額利用料を払って・・・ってのは正直あほらしいし、そこまでの財力はない。という事で留守本部(家族)への連絡をメインに運用していこうと思う。

3つ設定できるプリセットメッセージを以下のように設定してみた。

1.順調。進みます。

2.遅れているが、問題なし。

3.行動開始/終了。

プリセットメッセージが届くと、受信者(留守本部)へはこのような以下のメールが届く。なお、メッセージの受信にあたって留守本部がすることはなく、普段使用しているアドレスが使用できる。
返信はメールに添付されているリンク先から行うことも可能。
※メールから返信はできないので要注意!

メールに記載されているリンクをクリックすると、MAP上に位置とメッセージが表示される。

メールの受信画面とリンク先

入山時に3.行動開始。とメッセージを送れば、そのあとは適宜1. or 2.のメッセージを送っていけばよい。inReach本体からメッセージを送る操作自体は10秒ほどで完了するので煩わしくない。

今まで"脱渓"や"登山道に出ました"など、ざっくりした形でしか連絡していなかったが、谷のど真ん中での小休止や、脱渓時にわざわざ機内モード解除してライン開いて・・・としなくて済む。(脊梁見たく主稜線に上がっても電波無い山あるしね・・・)

 

また、「別に大したことないんだけど、ちょっと遅くなる!!!」って時は少なからずあると思う。山に入ってる人間は何とも思わないけど待ってる側からすると「え、もう16時過ぎ・・・なんも連絡ないし既読もついてない・・・大丈夫かな・・・・救助要請・・・・?」と考えが巡ると思う。

そんなときも遅れるが問題なしと位置情報付きメッセージが1通でも来ていれば「ああ、下山の尾根上か」とわかる。

 

なお、プリセットメッセージは3種類設定でき、ネット環境があるところではいつでも(スマホ/PC)内容と宛先を変更することが出来るので、沢の時はこのプリセットでだれ宛。冬山の時はこれとフレキシブルに変更することができる。

 

利用想定②:メッセージの送信

プリセットメッセージだけでなく、inReachでは任意のメッセージ(半角160文字/全角80文字)を送ることが出来る。safetyプランでは月10通まで無料。以降1通0.5ドル。

①に挙げた通り、基本的には回数制限のないプリセットメッセージで運用。

特筆する場合には通常のメッセージを送ればコスパが良い。また留守本部から天気情報もらえれば心強い。また、スマホアプリと連携することでラインなどと同じ感覚でメッセージを作成/受信することが出来る。

(例1)

「テント場着。問題なし。予定通り明朝5時出発。天気は?」

「了解。午前中は晴れだが、15時から雷雨予報」

 

(例2)

「滑落発生。〇〇が負傷し意識なし。救助求む」

 

等といったようなやり取りが出来ればと思っている。

例1ではちょうど先日仲間が沢泊の2日目に大雨に降られたらしい。

深い谷でラジオも入らなかったようで「こういう時留守本部に天気の確認、翌日のエスケープ案連絡できたらいいね~」と話をした。

例2では、先日の国見岳捜索の件。今回の導入するきっかけになった最大のポイントでもある。

今回、要救助者発見した個所は圏外であり、電波を求めて道なき尾根を上がって主稜線にでた。しかしながらも通話するには厳しい電波上だったため、留守本部経由で通報させれば要救助者から離れることなく、迅速に救助要請が出来たものと思われる。

 

利用想定③:緊急時の位置検索

購入前はあまり気に留めていなかったが、有事の際に使えそうなのが位置検索。

下界から「お前どこにいる!?」とinReachに信号を飛ばし、強制的に位置情報を送信させることが出来る。

後述するMapShare上から"検索"することが出来る。

1枚目の★検索タブからinReachに位置情報のリクエストを送信することができる。

2枚目のMAP上の★マークが、リクエストに応じて送信された位置情報。

"これには最大で20分間かかる"とあるが、inReachの設定上メッセージを受信するのは1時間に1回なので、最大1時間ほどはかかるとみておいた方が良い。

 

連絡が途絶えた(事故発生)の際に外部から位置情報を取りに行けることで、翌日の初動がかなり早くなる。

 

YAMAPの見守り機能に似た機能だと思うが、YAMAPは"最後に圏内になった場所"が表示される。すれ違い通信という機能もあるが、沢ではほぼ確実にすれ違う事はない。

ココヘリはヘリが飛ぶまで要救助者の位置はわからない。

 

利用想定④:トラックの送信/共有(MAP SHARE)

何となくイメージはついていたが、購入するまでよくわかっていなかったMAP SHARE.

Map shareで出来ることとして、地図上でメッセージの表示、メッセージの送受信、そして位置検索を行うことが出来る。

地図上の〇がトラック、✉がメッセージの送信位置。

位置検索を行った場合、前項のように★マークが表示される。

それぞれのポイントを線でつなぎ、軌跡にしてくれる。

Map shareには個人ごとにページが生成される。パスワードや、公開期間を制限することも可能。

 

 

その他

・inReachの機能、そして山の事を理解した留守本部があることで性能を最大限発揮することが出来るデバイスだと感じた。

逆を言えば、山のことが何もわからない家族を受信者にしても効果半減だと思う。 

 

・圏外になる場所にはあまり行かない。ほかの登山者とよくすれ違うという方はココヘリやYAMAPの見守り機能で十分かもしれない。

しかし、人も電波も入らないところを嗜好する者にとっては非常に心強い端末であると感じた。

 

・通信速度

衛星の通信状況(?)によって、メッセージを送信するのに時間がかかる。

早ければ5~10秒ほど。長ければ2分ほど要したときもある。車で移動しながらの時もあったため、山だと状況が違うのかもしれない。

 

→2023.01追記

しばらく使ったところ、深い谷だと20分ほどかかることもある。

1.木が覆われてほぼ空が見えない→厳しい
2.一部が開けている→5分ほど
3.広く空が見える→数秒

衛星補足するまでずっと待機してくれるらしいので、谷歩くときはトラックの送信で開けた時に送信されるのを待った方がいいかもしれない。

 

 

・使用感

ボタンは大きく、クリック感は固め。プリセットメッセージの送信程度ならオーバーグローブした状態でも可能。

 

普段関わりのある方で、インリーチの導入考えているが、プリセットメッセージがどのように受信できるか体験したい。Map shareがどのような感じか見たい!って方がいたらテストとしてメッセージ送信、パスワードをお送りしますので、リプorDMお待ちしてます!

 

また、自分も探り探りではありますが、質問も随時うけつけております!!!