マルチやトラッドなど、沢登りなど比較的ハイリスクな山をやる私に対し、登山の経験がない人やスポークライマーからよく「お前がやってることってヤバイよね。」みたいなことを言われる。はたから見たらめちゃくちゃ危険なようにも見えるが、実際はそうでもない。
ここ数年、色々な人と山に行ってきたが強い人に共通しているのは徹底したリスク管理をしていて、想像力に長けていること。数年前に経験した山岳救助以降特に意識することになったリスク管理。書籍や、登山研修の報告書から言葉をいくつか借りて今現在の自分の考えや課題をまとめておきたいと思う。
山のリスクと向き合うために 登山におけるリスクマネジメントの理論と実践:東京新聞 TOKYO Web
まず第一に"計画段階でのリスク予想"。
自分は山に行く前にざっくりとこれらのことを考えている。これらが適切でないと計画として破綻している可能性があると思っている。
・天候はどうか。雷雨や強風などの気象リスクはあるのか。
・行くメンバーはどうか。技量があるのか初心者なのか。
・勝手を知っているメンバーか初対面か。
・どこにいくか。何を登るか。エスケープはどうするか
・役割分担はどうか。
・必要な装備は何か。
次いで"行動中のリスクとその対応"。
・地形的なリスクはあるか。(道迷い等)
・エスケープするとなったらどこを歩くのか。
・天候の急変はないか。
登攀においては
・支点は確保できているのか。
・落ちたらだめなのか、落ちてもいいのか。
・岩は安定しているのか
・進退窮まらないか。
・クライマーが落ちたらどうなるか。
・落石があったらどうするか。
自分は沢登りが好きなので、下記の称名滝をフリーソロした中島徹氏の報告書が非常に参考になった。
リスクを伴うフリークライミングにおけるメンタルコントロールの重要性について
:称名滝フリーソロの例(中嶋徹)
予定日まであと2日という切迫した状況とフリーソロのプレシャーだった。勇気を出して決行するのか、またの機会に延期するのか、もう諦めるのか決断するしかなかった。
プレッシャーに押しつぶされ、リハーサルで疲弊しきって悲観的になっている頭で必死にリスクを見積もろうとした。しかしこの時思い出したのは自分にとって不都合な経験ばかりで、どう頭をひねっても滑落のリスクは高いように思えた。
(中略)
もう一度、今度は冷静に一つ一つのリスクを見つめなおすことでそれらのリスクは自分に乗って取るに足らないものであることが分かった。(表1)
私から見ても"無謀だ"と思える登攀で、中島徹氏も葛藤があったようだが、徹底したリスク管理の上で称名滝のフリーソロを成功させている。
彼ほどすごい登攀には到底及ばないが、自分もアルパインクライマーの端くれとして「行ってみたい。でも怖い。〇〇だからやめておこうかな」と葛藤がある。リスク管理とは話は転ずるが、先述した書籍の中で"複数の相反する行動原理を許容する精神的な強靭さ"の項でこう書かれている。
登山前には登山に対する強い思いを持ち、挑戦的なルートを求めてあえて困難を設定する一方で、挑戦が生み出す不確実さを自覚し、不安も感じていた。そして挑戦意欲と不安という矛盾する感情が判断を揺れ動かしていた。一方、登山後には、限界を乗り越えた達成感を感じる一方で、自分が成し遂げた成果が運の上に成り立っていたのではないか、生きて還ることができたのは何なる運なのではという楽観主義の反省も強く感じていた。(中略)
限界に近いから挑戦意欲が湧くが、それは同時に不安につながる。どちらもその山の困難度に由来しているので、両者の不協和をおいそれと解消できない。そこで挑戦したいという認知に整合的にするためには「危険はない」「大丈夫なはずだ」と思い込みが生まれる。逆にリスクへの評価が変わらないとすれば、「自分はそれほど山に登りたくなかったのだ」と思い、自分を納得させてしまうかもしれない。(中略)
アルパインクライマーが生き残っている背後には、危険への感受性の高さがあるが、心理学的に見れば、挑戦心や達成感がある中で、リスクが怖いと思ったり、成功が生んだと自覚したりすることは稀有なことなのである。心の中の不協和の中で揺れ動きつつも、相反する行動原理を心のうちにと留め、一方に偏らない判断が出来ること自体、彼らをリスクから遠ざける重要な資質と言えるかもしれない。
この文章、めーーちゃくちゃよくわかる。カッコいい(難しい)ところに行きたい!!と思う反面、「いや、難しいし怖いし、別に登らなくてもいっかな・・・」と躊躇することもよくある。でもやっぱりそういう山を成功した後は筆舌に尽くしがたい達成感を得ることが出来る。
自分の行動原理がそうなっているので承認欲求が駄々洩れのアカウントは生理的に受け付けないんだと思う
昨年大崩山のクロスケオテ谷を遡行(Rock&Snow90号)したクライマーのA氏の「迷ったときはハードプッシュ。死なないギリギリを乗り越えたら強くなる」という言葉も心にある。彼らの表面上の文言は違うものの、称名滝のリスク排除も死なないギリギリを乗り越えた上で得られた結果であるように思う。
彼らのような先鋭的なクライマーの思考をインプットして思うのは、"自分は臆病すぎる"という事。それはハイキングを始めてから今まで変わりがないように思っている。
リスクを必要以上に恐れる+自分の能力を過小評価する=登れるところを登らない。
→成果を逃している。
昨シーズンはボルダラーや、スポーツクライマーと沢に行く機会が数回あった。当時は「巻きだな」と思うようなところも果敢に攻めていく。結果的に事故無く、無事に登れている。悪く言えば彼らは無謀。悪く言えば自分はリスクマネジメントをしすぎていた。何が正解で何が過ちかはわからない。ただ間違いなく言えるのはケガをしないこと。これは絶対。
今週末も春のような陽気でぼちぼち冬山から岩へ、沢へと気持ちがシフトしていく。
今年は受容できるリスクを見極めながら、死なないギリギリを乗り越え自分にとって価値のある遡行,登攀を一本でも成し遂げたらなと思っている。
それでは皆様、
ご安全に!